2050年カーボンニュートラルに向けた動きが加速する一方で、物流の要である重量車(トラック、バス等)の脱炭素化は技術的・社会的課題によって遅れている。乗用車では普及が進む電気自動車(BEV)や燃料電池車(FCV)にも、重量車ではバッテリー重量・容量により積載量が減少することによる輸送効率の低下、充電時間の長さ、寿命、寒冷地での性能低下といった壁がある。
移行期間の現実的アプローチとして注目
そのため、2050年までの限られた期間ですべてをBEVあるいは燃料電池車(FCV)の新車に置き換えるには、コスト・資源・サプライチェーンの制約が大きい。そこで移行期間の現実的アプローチとして注目されているのが「水素エンジン」である。水素エンジン車は既存の内燃機関の技術が活かせる点において優位性が高く、特に既存車両を水素使用へ改造するコンバージョンへの期待は大きい(図1)。
水素エンジンは、高負荷・高出力が求められる領域で強みを発揮し、既存のディーゼルエンジンに近い構造であることから、耐久性やメンテナンス性が高い。トラックやバスの担い手不足が起きている現代において、内燃機関という共通点での移行は利用者の受け入れやすさ(社会的受容性)の観点からも優位であるといえる。
世界的にも水素エンジン再評価の動き
欧州や中国、インドではFCVと並行して水素エンジンの開発・実証の動きがあり、世界的にも水素エンジンの再評価が進んでいる。Volvoは水素エンジントラックの試験を2026年に開始し、商用展開を見据えると公表している。MANは水素エンジントラック約200台を2025年からドイツ、オランダ、ノルウェー、アイスランド等の複数国へ供給を発表している。このように、海外において、水素エンジン車はBEVとFCVと補完関係にあり開発が進められ、用途とインフラの状況に応じた現実解として位置づけられ始めている。
水素エンジン事業による資源循環や既存産業の活用
脱炭素だけでなく資源循環(サーキュラエコノミー)の観点からも水素エンジン車へのコンバージョン(改造)への期待は大きい。既存のディーゼルトラックやバス車体を活用し、エンジンと燃料系部分を水素仕様へ置き換えることで、製造工程の環境負荷削減が期待される。
同様に新車製造においても既存の設備を大きく変更することなく活かせるため、産業・雇用の継続性という面で利点が大きい。さらに、整備工場・メカニックのスキルや部品サプライシェーンをほぼそのまま活用できる見込みで、初期導入コスト低減と高い稼働率確保につながる。
さらに、BEVやFCVに加えて車両更新の選択肢が増えることは、事業者にとって投資の平準化を図りやすい。これらの強みは、拠点間輸送・路線バス・構内物流のようにルートと燃料補給地点が確定している用途で特に効果を発揮する。したがって、インフラ整備が十分に進むまでの日本の水素社会移行期においても、トラックやバスの水素コンバージョンは最も現実的アプローチとして位置づけられる。
東京都市大学「水素社会研究会」で水素社会実現を目指す
こうした水素社会移行期において、日本における水素サプライチェーンを描き、技術・制度・実装の三位一体で具現化を加速していくための共創の場として、東京都市大学「水素社会研究会」がある。研究会は武蔵工業大学時代から長年蓄積されてきた内燃機関研究を中核として、制度設計・政策・社会実装分野の研究を得意とする都市生活学部・環境学部の研究者らが2025年に立ち上げ、企業・自治体・関係団体等の多様なプレイヤーを巻き込んだ水素社会の実現を目的とする。
特に本研究会は、技術や政策の進展・最適化にとどまらず、大学として都市の社会的戦略を構想・検証する意思を有している。都市の移動・産業・防災・福祉といった暮らしの側面を重ね合わせ、TCU Shibuya PXU(東京都市大学渋谷パクス)を起点とする社会実装デザインを進めていく。
エンジン開発・実証に加えて環境・社会経済性を評価
研究会メンバーで構成される水素エンジン車のプロジェクトでは、エンジン開発と実証と並行して、環境・社会経済性評価によるエビデンスの強化が特徴となっている。環境・社会経済性評価は技術特性と社会への適合性あるいは利用者の利便性や受け入れやすさ(受容性)の定量的・定性的分析を展開し、水素事業の意思決定を裏付けるデータ提供を目指す。LCAでは水素の製造方法、輸送・貯蔵、車両利用、更新・廃棄に至るまでの水素サプライチェーンに沿って環境負荷を「見える化」する。
自動車のLCAは、車両のライフサイクル(素材-製造-廃棄(リサイクル含む))と燃料種のライフサイクル(燃料源の資源採掘-精製・発電-供給-走行)に大別される。車両走行のみを評価するTank-to-Wheel(TTW)や燃料の資源採掘+TTWで構成されるWell-to-Wheel(WTW)、原料採掘-製造-使用-廃棄までの製品のライフサイクルすべてを対象とするCradle-to-Grave(C2G)がある(図2)。
水素利活用事業(あるいは水素社会)を適切に評価していく上では、水素の製造方法の議論も欠かすことはできない。特に、鉄鋼生産や苛性ソーダ生産過程等で得られる副生水素の環境負荷に関する議論は学術的にも活発化している段階にある。加えて技術的課題解決、環境側面の議論のみでは社会実装は進まず、技術ロードマップ作成の論点として重要な利用者の確保の道筋を裏付けるデータとして、社会的受容性分析が重要となる。
水素エンジン車の社会的受容性、実現可能性に向けたデータ・情報を検証
水素エンジン車は上述した通り、既存のスキル・産業を活用できる点に大きな利点があるが、実態として水素エンジン車の社会的受容性の高さや実現可能性に向けたデータ・情報は不足している。そのため、安全・騒音・運用のしやすさ、費用負担の感じ方、公平性などの社会的受容性に関して、関係者インタビューやアンケート、ワークショップでの把握を展開する予定で、教育・点検項目・ガイドライン化等の実務要件への提案を目指す。
東京都市大学「水素社会研究会」では、こうした取り組みを社会に発信すると同時に、多様なサプライチェーンを構成するプレイヤーとの共創の場を設けている。2026年3月2日にTCU Shibuya PXUにて開催する第2回セミナーでは、経済産業省からの話題提供と本学研究内容の紹介、課題整理と今後の方策を議論するパネルディスカッションを予定している。技術・制度、研究動向の最新動向の共有にとどまらず、大学が担う都市の社会的戦略の視点から用途設計やそれに向けたデータや合意形成のあり方を議論する。また2026年3月25日には環境ビジネスサミットでの研究内容の紹介を予定している。こうした活動を契機に水素社会に向けた議論の活発化と社会実装加速が進むことを期待したい。
参考文献
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経済産業省―「水素社会推進法について」
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東京都市大学渋谷パクス―TCU Shibuya PXU(東京都市大学渋谷パクス)
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東京都市大学―水素社会研究会第2回セミナー